1948年 イタリア共和国憲法が施行され、5月11日にルイージ・アイナウディ(Luigi Einaudi)が大統領に選出された年。ジーノ・バルタリ(Gino Bartali)はツール・ド・フランス(our de France)で2度目の勝利を収め、トリノはセリエAで優勝。ロンドンオリンピックではエミール・ザトペック(Emil Zátopek)とアドルフォ・コンソリーニ(Adolfo Consolini)が勝利。ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)の『自転車泥棒(Ladri di biciclette)』、『ハムレット(Amleto)』、ローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier)がアカデミー賞を受賞。エルザ・モランテ(Elsa Morante)の『嘘と魔術(Menzogna e sortilegio)』、ジョヴァンニ・グアレスキ(Giovanni Guareschi)の『ドン・カミロ(Don Camillo)』、ノーマン・メイラー(Norman Mailer)の『裸者と死者(l nudo e il morto)』、アーウィン・ショウ(Irwin Shaw)の『若き獅子たち(I giovani leoni)』が出版された。33回転レコード、トランジスタ、サイバネティックス(cybernetics)が登場。イタリアの一人当たり年収は139,152リラでした。
1958年から1968年 サイズが拡大し、装備が増え、5輪のアーペが登場 アーペの世界は常に進化し続けていました。1958年にはアーペDが誕生しました。サイズはさらに大きくなり、ドア付きの完全なキャビン、キャビンの盾に取り付けられたフェンダーではなく前照灯、170ccの排気量が特徴です。誰もが軽運送といえば、この内容と実用性が抜群の三輪車を連想するようになりました。アーペのイメージは定着しつつあり、社会的および文化的な動向を十分に活用して、ピアッジョは「アーペ、あなたの利益を助ける乗り物(Ape, il veicolo che vi aiuta a guadagnare)」というスローガンを生み出しました。