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Olivetti オリヴェッティ
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Olivettiの歴史は、創業者カミッロ・オリヴェッティ(Camillo Olivetti)によって1908年に始まりました。彼は、イタリア初のタイプライターメーカーとしての基礎を築き、イヴレア(Ivrea)のレンガ造りの工場で「Olivetti M1」などの製品を製造しました。1930年代には、息子のアドリアーノ・オリヴェッティ(Adriano Olivetti)が指揮を引き継ぎ、会社は革新的な製品を発表することで成長を続けました。たとえば、1945年のDivisumma 14は、四則演算が可能な初の書式計算機として歴史に名を刻んでいます。

1959年には、初のトランジスタを使用したメインフレームコンピュータ「Elea 9003」を発表し、コンピュータ分野への進出を果たしました。特に、製造の過程で品質管理と高精度な技術が重視され、1970年代には計算機ディヴィスンマ(Divisumma)シリーズが商業分野で広く普及。これにより、Olivettiは国際的な名声を確立しました。

1960年代から70年代にかけては、機械式計算技術の限界に挑む「Logos 27」などの新プロジェクトも立ち上げられました。また、オフィス機器や産業機械の製造も拡大し、会社は多くのイタリア企業を傘下に収め、約24,000人の従業員を抱えるまでに成長しました。

1960年、Adriano Olivettiの死により、息子のロベルト・オリヴェッティ(Roberto Olivetti)が従兄弟のCamilloと共に会社の指揮を取ることになりました。Robertoは1955年から父Adrianoを支えてきた経験があり、Olivettiは1963年に米国のUnderwood Typewriter Companyを買収するなど、50,000人以上の従業員を抱える巨大企業となりました。しかし、市場停滞や管理の難しさから、会社はFiatやIMI、メディオバンカ(Mediobanca)ピレッリ(Pirelli)といった新たな出資者を受け入れざるを得なくなりました。

Fiatのヴィットリオ・ヴァッレッタ(Vittorio Valletta)は、Olivettiが電子部門に進出している点を懸念しましたが、この部門で開発された「Programma 101」が1965年にニューヨークでの展示会で大きな注目を集めました。このプログラム可能な計算機は、世界初のパーソナルコンピュータとされ、NBCNASA(アポロ11号の際)にも採用されるなど、その先進的な設計が評価されました。

1964年に新たな株主が加わることで、これまでOlivettiグループの構築に大きく関与していたAdriano Olivettiの家族の役割は次第に縮小していきました。それでも、1965年には革命的な電子計算機「Programma 101(P101)」が登場し、これは新たな市場を開拓しました。P101は発売当初から商業的成功を収め、その後のOlivettiの発展を促しました。

1964年、Olivettiの取締役会は、電子部門をGeneral Electric(GE)に売却し、合弁企業「Olivetti General Electric」を設立しました。これによりOlivettiは電子部門への投資を慎重に進めることになりましたが、技術者のペロット(Perotto)は開発を続け、最終的にP101を完成させました。1967年にはRoberto OlivettiがCEOに就任し、Perottoは引き続き携帯型計算機の研究開発を推進しました。

その後、1970年には米国のハリスバーグにも工場を新設し、従業員は73,000人にまで増加。1975年、ハノーバーでの展示会にて、進化版の「P6040」と「P6060」を発表。P6060には世界初の内蔵フロッピーディスクとグラフィックプリンターが搭載されましたが、市場の理解不足から限定的な成果に終わりました。

1978年、Olivettiは世界初の電子タイプライター「ET 101」を発売し、これが商業的に大きな成功を収めました。同年、カルロ・デ・ベネデッティ(Carlo De Benedetti)が新たに経営権を握り、Olivettiは新たな時代に向けての重要な転換期を迎えました。

Olivettiの文化とデザインへの貢献
1930年から1960年にかけて、Adriano Olivettiは革新的な経営手法を導入しつつ、製品デザインにおいても独自の文化を築きました。Olivettiの製品は、単なる美しさだけでなく、機能性とデザインを調和させることで多くのユーザーに愛されました。

デザインの進化とコラボレーション
1935年、エンジニアのオッタヴィオ・ルッザティ(Ottavio Luzzati)、画家のクサンティ・シャヴィンスキー(Xanti Schawinsky)、建築家のフィジーニ(Figini)とポッリーニ(Pollini)と共に開発された「Studio 42」タイプライターは、Olivettiのデザイン文化の始まりを象徴します。1938年にはデザイナーMarcello Nizzoliとの協力が始まり、「Lexikon 80」(1948)や「Divisumma 14」(1948)、「Lettera 22」(1950)など、多くの名作が誕生しました。このうち「Lettera 22」と「Lexikon 80」は1952年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションに選定されました。

1958年にはエットーレ・ソットサス(Ettore Sottsass)がOlivettiに参加し、電子計算機「Elea 9003」(1959)や「Olivetti Valentine」(1969)といった、個性豊かな製品が次々と生まれました。特に「Lettera 22」は、その美しさと機能性が評価され、1959年にはイリノイ工科大学のデザインランキングで過去100年のデザイン製品100選の1位に選ばれるという栄誉を得ました。

Olivettiは長年にわたり、その革新的なデザインと技術で名高いコンパッソ・ドーロ(Compasso d'Oro(>>))賞を多数受賞してきました。以下に、Olivettiが獲得した主な賞と製品を紹介します。

年 製品 作者
1954 タイプライター「Lettera 22」 マルチェッロ・ニッツォリ(Marcello Nizzoli)
1955 特別賞:Adriano Olivettiの功績
1959 電子計算機「Elea」 エットーレ・ソットサス(Ettore Sottsass)
1962 金属家具「シリーズSpazio」 ルドヴィーコ・ベルジョイオーゾ(Lodovico Belgioioso), エンリコ・ペレッスッティ(Enrico Peressutti), エルネスト・ネイサン・ロジャース(Ernesto Nathan Rogers)
1964 マグネティック文字機械「CMC7-7004」 マリオ・ベッリーニ(Mario Bellini)
1967 工作機械「Auctor Multiplex MUT/40°」 ロドルフォ・ベネット(Rodolfo Bonetto)
1970 電動加算機「MC 19」、タイプライター「Valentine」 エットーレ・ソットサス(Ettore Sottsass), ハンス・フォン・クリール(Hans Von Klier)
1970 卓上計算機「Logos 270」 , サンドロ・パスクイ(Sandro Pasqui)
1970 測定センター「Inspector Midi 130 W」 Rodolfo Bonetto, Naoki Matsunaga
1981 携帯電子タイプライター「Praxis 35」 Mario Bellini
1984 レジスター「Mercator 20」 Mario Bellini
1984 縦軸加工センター「Auctor 400」 Rodolfo Bonetto, Olivetti OCN
1991 Sanyoと共同で開発されたFAX「OFX 420」 ジョージ・ジェームス・ソーデン(George James Sowden), サイモン・モーガン(Simon Morgan)
2001 インクジェットプリンター「Artjet 10」 ミケーレ・デ・ルッキ(Michele De Lucchi)
これらの受賞歴から、Olivettiのデザインと技術が多くの分野で高く評価されてきたことが分かります。

広告デザインとOlivettiのグラフィック表現
Olivettiは、製品の開発とともに、広告と企業イメージのグラフィック表現にも力を入れていました。これにより、Olivettiが根差していた企業文化がさらに強化され、広まっていきました。

初期の広告ポスターはマルチェッロ・ドゥドヴィック(Marcello Dudovich)が手がけましたが、1937年からはコスタランティーノ・二ヴォラ(Costantino Nivola)、そして1938年から1968年までの30年間にわたりジョヴァンニ・ピントーリ(Giovanni Pintori)がその役割を担いました。Pintoriは、Olivettiの広告および企業のグラフィックを通じて、国際的に注目を集めるデザインを生み出しました。彼は後にエジディオ・ボンファンて(Egidio Bonfante)とも協力し、Olivettiの視覚表現をさらに発展させました。

特にPintoriの指導のもとで、Olivettiの広告デザインは世界中で称賛され、ニューヨークのMoMA(1952年)、ベルリン(1954年)、日本(1954年)、パリのルーヴル(1955年)、ロンドン(1959年)など、世界の名だたる展示会で紹介されました。このようなデザインへのアプローチは、Olivettiのブランディングと製品価値の向上に大きく貢献しました。

イヴレアの現代建築オープンエア博物館(il Museo a cielo aperto dell'architettura)
2001年以降、イヴレアにあるモダニズム建築の屋外博物館が一般公開され、訪問者は徒歩でOlivettiの豊かな建築・都市計画の遺産を巡ることができます。この博物館は、Olivettiの革新性と社会的使命感を象徴する場として、多くの建築愛好者に親しまれています。


1965年、家族のメンバーが「レッテラ 32」を取り合う様子が描かれました。
オリベッティのこのタイプライターは1965年のクリスマスに理想的なプレゼントとされました。

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