お問合せ窓口へ


日本の映画イタリア語版DVD
→トトロ、ラピュタなど


イエロー

オレンジ

グリーン

グレー

パープル

ピンク

ブラウン

ブラック

ブルー

ホワイト

マルチ

レッド

ワイン



QRコード

雑貨通販・検索ポータル【雑貨屋】



イタリア雑貨 WEB SHOP 探検隊

自動相互リンクサイト

外来語を一瞬で「使える」イタリア語に!
イタリア語をはじめるなら『イタチカドットコム』


ホーム RICHARD GINORI リチャードジノリ / GINORI1735 ジノリ1735
商品一覧
RICHARD GINORI リチャードジノリ / GINORI1735 ジノリ1735
商品並び替え:

RICHARD GINORI リチャードジノリ / GINORI1735 ジノリ1735 商品一覧はこちら(>>)


2020年以降のロゴ


2020年以前のロゴ

目次
- リチャードジノリ(Richard Ginori)
- 創業期のドッチャ工房
- 芸術的進化と産業的挑戦
- リチャードとの合併:新時代への出発
- ミラノでの発展と国際的成功
- 長く続く伝統と革新
- リチャードジノリの作品

リチャードジノリ(Richard Ginori)の長い歴史は、ヨーロッパの陶磁器産業において卓越した芸術性と技術革新を融合した例として際立っています。その起源は1737年、トスカーナ地方フィレンツェ近郊のドッチャ(Doccia)地区に設立された工房にさかのぼります。この工房を設立したのは、磁器製造に強い興味を抱いたカルロ・ジノリ(Carlo Ginori)侯爵でした。当時、彼はフィレンツェのルネサンス芸術や中国、日本の影響を受けたデザインを取り入れ、ヨーロッパの競争の激しい陶磁器市場で独自の地位を築き上げました。


リチャード陶磁器会社(Società Ceramica Richard)の工場は、合併前にサン・クリストフォロ(S. Cristoforo)地区のナヴィリオ・グランデ(Naviglio Grande)沿いに位置していました。
この工場は、イタリアの陶磁器産業の中心として重要な役割を果たし、後のリチャードジノリ(Richard Ginori)ブランドの発展に繋がる基盤を築きました。


創業期のドッチャ工房
設立当初のドッチャ工房は、「マニファットゥーラ・ディ・ドッチャ(Manifattura di Doccia)」として知られ、カルロ・ジノリ侯爵が収集した芸術作品や古典彫刻のデザインをもとに、フィレンツェの伝統を新しい形で反映した磁器を生産しました。当時、工房の作品には、フィレンツェのドゥオーモのクーポラを象徴する意匠が用いられたり、ジノリ家の紋章である3つの星やアステリスクが試験的に刻印されました。このような試みは後のブランドの特徴的な「マーク」の基礎となりました。

最初期には製品に統一されたマークはなく、18世紀末にカルロ・レオポルド・ジノリ(Carlo Leopoldo Ginori)の時代になってから、「アステリスク」や「星」のマークが使用されるようになりました。このマークは、1780年ごろから鋳込みや金彩、赤の絵付けバリエーションとして現れました。また、19世紀に入ると「GINORI」という文字が鋳込まれることが増え、後には王冠付きの「N」のマークも登場します。この「N」は、ナポリの王立磁器工房(Real Fabbrica Ferdinandea)の意匠を受け継いだものでした。

芸術的進化と産業的挑戦
19世紀になると、ドッチャ工房は急速な近代化が求められました。産業革命による市場の変化に対応するため、生産ラインの多様化が進み、磁器だけでなく電気や化学産業用の製品も製造されるようになります。この時期には、約1500人もの職人が働く大規模な工房へと成長しました。

特にこの時代を象徴する人物として、カルロ・ロレンツィーニ(Carlo Lorenzini)の弟であり、家族の信頼を得た重要な協力者であるパオロ・ロレンツィーニ(Paolo Lorenzini)が挙げられます。彼の尽力により、工房の運営と品質の両方が支えられていましたが、1891年の彼の死去後、運営に困難をきたすようになります。

リチャードとの合併:新時代への出発
このような課題が重なる中、ジノリ家は大胆な決断を下しました。それが、ミラノの実業家ジュリオ・リチャード(Giulio Richard)との合併です。1896年、工房はジュリオ・リチャードに買収され、「リチャードジノリ(Richard Ginori)」という新しい名前が誕生しました。この合併は、芸術的な伝統と産業的な効率性を組み合わせ、世界的な競争力を持つブランドへと成長する重要な転換点となりました。

合併後の工房では、19世紀後半の技術的進化を反映した新しいマークも採用されました。「G」の刻印が施されたものや、星を中心とした楕円形のデザイン、「Manifattura Ginori」と書かれた楕円形のロゴが使用されるようになりました。これらは赤、青、緑、黒などの色で描かれ、製品の多様性と品質を象徴しました。

ミラノでの発展と国際的成功
リチャードジノリは、フィレンツェ近郊で築かれた芸術的な遺産を大切にしながら、ミラノを拠点に大規模な工業生産を行う企業へと進化しました。20世紀に入ると、リチャードジノリの製品は国際博覧会などで高い評価を受け、世界的なブランドとして確立されました。

特に20世紀初頭には、モダニズムやアールデコの影響を受けたデザインが登場し、リチャードジノリは時代の先端を行くブランドとして再び注目を集めました。

長く続く伝統と革新
リチャードジノリの歴史は、単なる陶磁器ブランドの物語ではありません。それは、フィレンツェの芸術的伝統、ドッチャ工房の革新、ミラノでの近代産業としての進化を一つにまとめた、イタリア文化と産業の象徴的な物語です。その製品は、現在もその歴史と芸術性を物語る存在として、世界中の人々に愛されています。

リチャードジノリは、300年近くにわたり、美と技術の調和を追求し続けているのです。


リチャードジノリ(Richard Ginori)にあるドッチャ磁器博物館(Il Museo della Porcellana di Doccia)は、世界で最も重要な磁器のコレクションの一つを所蔵している博物館です。この博物館は、ジノリ家による工場の創業以来の長い歴史と芸術的遺産を物語る場所であり、18世紀から現代までの磁器製造の技術的および美術的進化をたどることができます。

ドッチャ磁器博物館は、1735年にカルロ・ジノリ(Carlo Ginori)によって設立された工場の敷地内に位置しており、設立当初の作品から最新のデザインまで幅広い展示を行っています。博物館のコレクションには、初期のドッチャ工場で製造されたユニークな磁器や、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパの影響を受けた芸術作品、そしてリチャードジノリとしての進化を経た後の作品が含まれています。

また、博物館内には、ジノリ家の創業者やその後継者たちが取り組んできた革新技術や、工場の技術者とアーティストたちが生み出した多くのデザインや試作品が展示されています。これには、著名な彫刻家や画家とのコラボレーションによる貴重な作品も含まれます。

ドッチャ磁器博物館は、磁器の芸術的価値だけでなく、歴史的および文化的な側面にも焦点を当てており、訪れる人々に磁器製造の伝統とその背後にある物語を深く理解させる貴重な機会を提供しています。



リチャードジノリの作品

ガスペロ・ブルスキ(Gaspero Bruschi)による作品とされる「メディチ家のヴィーナス(Venere dei Medici)」は、等身大の彫刻であり、1747年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作されました。「カルロ・ジノリ侯爵(Marchese Carlo Ginori)の肖像」を描いた磁器製メダリオンは、1745年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作されました。 アントン・アンライター・フォン・ツィルンフェルト(Anton Anreiter von Ziernfeld)による作品「自然な描写で植物と蛇が装飾された果物鉢(Fruttiera decorata con Piante e serpi dipinte al naturale)」は、1746年にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作されました。この作品は、当時の卓越した装飾技術と自然を忠実に再現するアートの融合を示す貴重な例とされています。

ガスペロ・ブルスキ(Gaspero Bruschi)による作品「ピエタ(Pietà)」は、マッシミリアーノ・ソルダーニ・ベンツィ(Massimiliano Soldani Benzi)のモデルに基づいて制作されました。
この作品は、1745年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で製作され、現在はロサンゼルス・カウンティ美術館(Los Angeles County Museum of Art)に所蔵されています。
この作品は、18世紀のイタリア芸術と宗教的テーマの卓越した融合を示す重要な例とされています。
「高貴なトルコ人の姿」が描かれたこのバッソイオ(大皿)は、1745年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で製作された作品です。
18世紀中頃の東洋趣味や異国文化への関心を反映しており、ヨーロッパにおけるトルコやオリエント文化の影響を示す貴重な例とされています。
鮮やかな装飾や職人技の精巧さは、ジノリ工房の優れた芸術的感性を物語っています。
この「磁器製の十字架像(Crocifisso in porcellana)」は、18世紀中頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品です。
磁器を用いたこの宗教的彫像は、当時のヨーロッパにおける信仰心の表現や芸術的洗練を示す代表的な例です。
その精緻な造形と細部にわたる装飾は、ジノリ工房が誇る卓越した技術と美的感覚を反映しています。
この作品は、宗教的テーマと工芸品としての価値が融合した貴重な遺産といえます。

ガスペロ・ブルスキ(Gaspero Bruschi)による「アモーレとプシュケ(Amore e Psiche)」は、1747年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品です。
この作品は、古代神話の登場人物である愛の神アモーレ(クピード)と美しい人間の女性プシュケの物語を題材にしています。
磁器を素材としたこの作品は、18世紀のイタリアで発展した高度な工芸技術と芸術性を示しており、その繊細なディテールと優雅な造形が特徴です。
現在、この作品はイタリアのファエンツァにある国際陶芸博物館(Museo internazionale delle ceramiche in Faenza)に所蔵されており、ジノリ工房が手がけた初期の傑作の一つとして評価されています。
特に、ブルスキの技巧による彫刻的な磁器の表現は、当時のヨーロッパの芸術的潮流を反映しつつも、ジノリ特有の洗練されたスタイルを体現しています。
ジェノヴァのイゾラ・マラーナ家(Isola Marana)の紋章を装飾した皿は、18世紀中頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品です。
この皿は、磁器の表面に手描きで精巧な紋章が描かれており、イタリア貴族の家系が所有した特注品であることを示しています。
当時、紋章を用いた装飾は、家族の身分や伝統を象徴する重要な要素であり、特にジノリ工房のような名門の製陶所による作品は、その高い技術と芸術性を通じて依頼者の社会的地位を強調していました。皿に施された細部のデザインや色彩は、ジノリ工房の熟練した職人たちによる卓越した技法を物語っています。
このような特注品は、単なる実用品ではなく、家族の象徴として大切にされ、時には儀式や公式の場で使用されたと考えられます。この皿もまた、イゾラ・マラーナ家の歴史を物語る一品として価値が認められています。
庭園の建築物を模した大型のインク壺は、18世紀中頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品です。
このユニークなインク壺は、庭園の装飾的な建築をモチーフにしており、当時の芸術的感性と実用性を融合させた見事な例となっています。
作品は、庭園のパヴィリオンやガゼボを彷彿とさせるデザインで、繊細な装飾が施されています。磁器製のこのインク壺は、単なる筆記用具としての役割を超えて、美術品としての価値を持つものです。細部にはジノリ工房の職人たちによる高度な技術が感じられ、建築的要素を忠実に再現する一方で、装飾としての優雅さも備えています。
現在、このインク壺はガッツァーダ・スキアーノ(Gazzada Schianno)にあるヴィッラ・カニョーラ博物館(Museo di Villa Cagnola)に所蔵されており、18世紀イタリアの卓越した磁器製造技術と美的感覚を示す貴重な例となっています。この作品は、ジノリ工房の独創性と芸術的な伝統を物語る重要な証拠でもあります。

18世紀第2四半期に制作された「二重壁構造のコーヒーポット(Caffettiera a doppia parete)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)による優れた作品です。このコーヒーポットは、単なる日常用品を超えた洗練されたデザインと高度な技術が特徴です。
二重壁構造は保温性を高める目的で設計されており、当時の革新的な工夫を示しています。この構造により、注がれたコーヒーが冷めにくくなる一方で、器自体が持ちやすい温度に保たれるようになっています。ポット全体には美しい装飾が施されており、ジノリ工房の職人たちの卓越した技術と美的センスが反映されています。
現在、このコーヒーポットはファエンツァ国際陶磁博物館(Museo internazionale delle ceramiche in Faenza)に所蔵されており、ジノリ工房が18世紀におけるヨーロッパ磁器産業の最前線で活動していた証拠として、高く評価されています。この作品は、実用性と芸術性を兼ね備えた磁器製品の代表例と言えるでしょう。
18世紀第2四半期に制作された「ステンシル装飾のトレー(Vassoio decorato 'a stampino')」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)による作品です。このトレーは、当時の装飾技術の一つである「ステンシル(a stampino)」技法を用いて美しく飾られています。ステンシル技法とは、デザインを型紙を通じて転写し、細部まで精巧な模様を施す技術のことです。
このトレーの装飾は、ジノリ工房の職人たちが持つ高度な技術と創造力を示すものであり、均整の取れた模様や繊細なラインがその特徴です。デザインには、当時のヨーロッパの美的嗜好や装飾トレンドが反映されており、日常の中で芸術を楽しむ文化が伺えます。
現在、このトレーはファエンツァ国際陶磁博物館(Museo internazionale delle ceramiche in Faenza)に所蔵されています。この作品は、ジノリ工房が18世紀にヨーロッパ磁器業界において重要な地位を占めていたことを示す一例であり、技術的にも歴史的にも高い評価を受けています。
「プッティ(天使)の遊び模様で装飾されたコーヒーポット(Caffettiera decorata a giochi di puttini in blau)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)で1745年から1750年頃に制作された作品です。このコーヒーポットには、ブルーの色彩を用いてプッティが遊ぶ様子が描かれています。この装飾には「リポルト技法(tecnica a riporto)」が使用されており、これはデザインを型から転写して装飾する方法です。
この技法により、模様には精密さと繊細さが際立ち、軽やかなブルーのトーンが全体の優雅な雰囲気を一層引き立てています。リポルト技法は、ジノリ工房が持つ高度な技術力を示すだけでなく、当時の芸術的な装飾表現の豊かさを反映しています。
このコーヒーポットは、18世紀中期のジノリ工房の創作活動の中でも特に優れた例とされ、ヨーロッパ磁器史においても重要な位置を占めています。繊細で詩的なデザインが特徴であり、当時の上流社会における洗練された美意識と趣向を今に伝えています。

「赤い田園風景を黄色い地に描いたリフレスカトイオ(Rinfrescatoio)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)で18世紀中期に制作された作品です。このリフレスカトイオは、典型的な18世紀の装飾技法を駆使しており、黄色い背景の中に赤い田園風景が描かれています。田園風景は、自然と日常生活の穏やかさを表現しており、その色使いやデザインは、当時の陶磁器に求められた美的な感覚を反映しています。
「リフレスカトイオ」という名称は、主に冷却用の容器を指し、飲み物の冷却や保持を目的として使われていましたが、この作品はその機能性だけでなく、美的価値をも兼ね備えています。装飾は、緻密で詳細な描写が施されており、赤い色調が目を引きます。これにより、田園風景が温かみと生命力を感じさせるものとなり、背景の黄色と相まって、視覚的に非常に魅力的な効果を生み出しています。
ジノリ工房が手掛けたこのような作品は、その技術力と芸術性を示すものであり、当時の陶磁器のデザインの幅広さと多様性を物語っています。
「ヴィーナスとアドーネ(Venere e Adone)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって1750年頃に制作された作品です。この作品は、ギリシャ神話に登場する愛と美の女神ヴィーナスと、その恋人である若者アドーネの物語を題材にしています。
ヴィーナスとアドーネの関係は、古代の神話の中でも非常に有名で、しばしば美術や陶磁器の装飾のテーマとして取り上げられてきました。この作品では、ヴィーナスとアドーネが情熱的な愛の関係を表現しているシーンが描かれています。ヴィーナスはアドーネに対して深い愛情を示し、アドーネはその愛を受け入れている姿が表現されていることでしょう。
ジノリ工房によって制作されたこの陶磁器の作品は、精緻で美しい装飾が施されており、18世紀のヨーロッパにおける陶芸技術と美術の融合を象徴しています。制作された時期は、ジノリ工房がその技術とデザインで名を馳せ始めた時期でもあり、陶磁器の美しさとともに、当時の芸術的な価値観を反映している作品です。
また、この作品は単なる美術品に留まらず、ジノリ工房のブランドとしてのアイデンティティと、陶磁器制作における優れた職人技が表現された重要な一例です。
「アンドロメダとクジラのグループ(Gruppo di Andromeda e l'orca)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって1750年頃に制作された作品で、現在はフィレンツェのスティベルト美術館(Museo Stibbert)に所蔵されています。
この作品は、ギリシャ神話の一節に基づいています。アンドロメダは、海の怪物(クジラ)によって危機に陥れられた美しい王女で、後に英雄ペルセウスによって救われるという物語です。ジノリ工房の陶磁器においても、アンドロメダとクジラの場面は非常に象徴的なテーマであり、この作品はその神話的なシーンを表現しています。
アンドロメダは岩に縛りつけられ、海から現れた怪物に食べられようとしている瞬間が描かれています。周囲には海の波が描かれ、恐ろしいクジラが迫る様子が緊張感を高めています。しかし、この作品の魅力は、その緊迫したシーンを陶磁器の形で表現し、ジノリ工房の高い技術と精緻なデザインを反映している点にあります。
アンドロメダとクジラのグループは、18世紀の陶磁器芸術における優れた例の一つとして、ジノリ工房の陶磁器が持つ芸術的価値を示す重要な作品です。また、細部にわたる美しい彫刻や色使いが、当時の陶磁器製作における技術の高さを物語っています。

「レダと白鳥のグループ(Gruppo di Leda con il cigno)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって1750年頃に制作された作品で、現在はフィレンツェのスティベルト美術館(Museo Stibbert)に所蔵されています。
この作品は、ギリシャ神話の有名なエピソードを描いています。レダはスパルタの王妃で、ゼウスが白鳥の姿をして彼女に近づき、彼女と交わったことにより、後に双子の子どもを産んだとされる物語です。この神話は、古代から多くの芸術家にインスピレーションを与え、陶磁器や彫刻においても頻繁に描かれました。
ジノリ工房の「レダと白鳥のグループ」は、レダと白鳥(ゼウスの化身)の姿が精緻に表現されており、特にその細かな彫刻や人物の表現力が際立っています。レダの姿は優雅に白鳥を抱きしめ、シーン全体に美しい動きと静けさが感じられます。背景には神話のドラマティックな一瞬が表現されており、その技術と芸術的な価値が際立っています。
ジノリ工房によるこの作品は、18世紀の陶磁器製作における傑出した技術とデザインを反映しており、当時の陶磁器の装飾技術や美的感覚を感じさせるものです。このように、古代の神話を陶磁器で表現することは、ジノリ工房がその時代の芸術的な潮流において重要な役割を果たしていたことを示しています。
「パリスの審判(Il giudizio di Paride)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって18世紀半ばに制作された作品で、現在はヴィラ・カニョラ美術館(Museo di Villa Cagnola)に所蔵されています。
この作品は、ギリシャ神話の「パリスの審判」を題材にしています。神話によると、トロイの王子パリスは、ヘラ、アフロディーテ、アテナの三神から最も美しい女神を選ぶという審判を下すことを命じられます。それぞれの女神は贈り物を提供し、パリスはその中でアフロディーテを選び、彼女に与えられた贈り物である最も美しい女性(ヘレネ)を得ることになります。この選択が、トロイア戦争を引き起こすきっかけとなります。
ジノリ工房の「パリスの審判」では、この劇的な瞬間が陶磁器に精緻に再現されています。パリスが三人の女神の前で選択を下すシーンは、非常に詳細な彫刻で表現され、人物たちの姿勢や表情に神話の深い意味が込められています。パリスの手にある金の林檎が象徴的で、彼の選択の重要性を示しています。
この作品は、18世紀の陶磁器芸術における高い技術を誇り、ジノリ工房が当時の最先端のデザインと技術を取り入れていたことを示しています。また、神話を題材にした陶磁器の制作は、その時代の美術や文化の一部として重要な位置を占めており、ジノリ工房がこの分野においても名を馳せていたことがうかがえます。
「アロティーノ(Arrotino)」は、ガスぺロ・ブルスキ(Gaspero Bruschi)によってデザインされ、ジノリ工房(Ginori a Doccia)で1745年頃に制作された陶磁器の作品です。この作品は、18世紀中頃のイタリアの優れた陶芸技術と美術を代表するものです。
「アロティーノ」は、一般的には「砥石職人」として知られる人物を表現したもので、彼が鋭い刃物を研ぐ姿が描かれています。ブルスキは、実際の職人が持つ動きや表情を非常に精緻に再現しており、彼の力強い腕や表情には、職人としての誇りと集中が感じられます。この作品は、ジノリ工房の卓越した彫刻技術と、人物像を生き生きと表現する力を示しており、当時の陶磁器の装飾芸術における重要な位置を占めています。
また、「アロティーノ」は、当時の社会における職人の重要性や、その職人技術を称える意味合いも含まれていると考えられます。鋭利な刃物を研ぐ職人の姿は、精緻で完璧な技術を追求する精神を象徴しており、陶芸の技術と同様に、細部に対するこだわりが反映されています。
ジノリ工房は、このような人物像を陶磁器に表現することで、装飾的な美しさだけでなく、社会的な価値や人々の生活に密接に関わる技術的な側面も強調していたことがうかがえます。

「タバッキエラ(Tobacchiera)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって約1750年頃に制作された、装飾的なタバコ入れの作品です。このタバコ入れは、表面に描かれた「クマ狩りのシーン」で特徴づけられており、非常に精緻で美しいデザインが施されています。狩りのシーンは、当時の人々の生活や趣味を反映し、自然との戦いを描いたダイナミックな表現が魅力です。
タバッキエラの表面には、また、精緻な「カメオ装飾」が施されています。カメオとは、彫刻によって浮き出るように描かれた装飾で、人物や風景が立体的に表現されています。このカメオの装飾は、当時の装飾芸術において非常に人気があり、特に高級感を演出する技法として広く用いられていました。
この作品は、18世紀のイタリアの陶磁器工芸における優れた技術と美的感覚を示すものであり、ジノリ工房が誇る陶芸の精緻さを反映しています。また、クマ狩りというテーマは、当時の貴族や上流社会の間で人気のある狩猟活動を象徴しており、社会的な地位やライフスタイルを表現する役割も果たしています。
このタバコ入れは、ジノリ工房がいかにして日常生活の道具に芸術的な価値を加え、装飾的な要素と実用性を融合させたかを物語る重要な作品です。
「サルトゥ(Sartù)」は、18世紀中頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品で、船の形をした料理用の容器です。この作品は、ジノリ工房が得意とした精緻な陶磁器製作技術を駆使し、独特の形状と装飾が施されています。
サルトゥは、もともとイタリアの料理である「サルトゥ」に由来する名前です。この料理は、リゾットや肉、野菜などを詰めて作った料理で、特に祝いの席でよく登場します。ジノリ工房は、この料理を模した船の形の器を制作することで、食文化に対する芸術的なアプローチを示しました。
「船の形をしたサルトゥ」は、18世紀の豪華な食卓でよく見られた装飾的で実用的な器の一例であり、特に当時の上流社会や貴族の間で重宝されたと考えられています。船の形は、当時の商業や貿易の繁栄を象徴する意味も込められていた可能性があります。
この作品は、ガッザダ・スキアノ(Gazzada Schianno)にあるヴィラ・カニョラ(Museo di Villa Cagnola)に展示されており、ジノリ工房の陶磁器の歴史とその美的価値を今に伝える重要な資料となっています。
「ピアット・コン・デコロ・フローリアーレ・アル・ガロファノ・ディ・イスピラツィオーネ・オリエンターレ(Piatto con decoro floreale al garofano di ispirazione orientale)」は、18世紀後半にジノリ工房(Ginori a Doccia)で作られた美しい陶器の皿です。この皿は、オリエンタルなインスピレーションを受けたカーネーション(ガロファノ)の花のデザインが特徴です。
オリエンタル風のデザインは、18世紀のヨーロッパ、特にイタリアで非常に人気がありました。ジノリ工房は、東洋の美術や文化から多くの影響を受け、細かい花柄やエキゾチックなモチーフを取り入れた作品を数多く制作しました。ガロファノ(カーネーション)は、特にその美しさと装飾性から頻繁に使われる花で、この皿にも精緻に描かれています。
この作品は、18世紀後半のジノリ工房の技術の高さを示すものであり、当時の陶器におけるオリエンタルデザインの流行を反映しています。また、繊細な手描きの花模様や精緻な彩色技術は、ジノリ工房が持つ卓越した芸術性を物語っています。

「ヴァッソイオ・デコラータ・ア・マッゼッティ・ディ・フィオーリ(Vassoio decorato a mazzetti di fiori)」は、18世紀後半にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された花柄が特徴的な装飾的なトレイ(皿)です。この作品は、花の束(マッゼッティ・ディ・フィオーリ)で装飾されており、華やかで精緻なデザインが施されています。
花束のデザインは、当時のロココ美術の影響を色濃く反映しており、ジノリ工房が得意とした手描きの細かな花の絵柄が特徴です。このような装飾は、18世紀のヨーロッパにおいて非常に人気があり、特に上流階級の人々によって愛されました。ジノリ工房は、こうした華やかで上品なデザインを多く手掛け、陶器に精緻で細やかな美を求めていました。
また、この作品は「ファエンツァ国際陶器博物館(Museo internazionale delle ceramiche in Faenza)」に所蔵されており、ジノリ工房の技術の高さとその装飾性を今に伝えています。この時代のジノリ工房は、陶器製品の品質だけでなく、デザインにおいても革新を続け、その名声を確立しました。
「ラ・ラコルタ・デッレ・ペレ(La raccolta delle pere)」は、18世紀後半にジノリ工房(Ginori a Doccia)によって制作された多色陶器によるグループ作品です。この作品は「洋梨の収穫」をテーマにしており、陶器で精緻に表現された人々と果物が描かれています。
この「ラ・ラコルタ・デッレ・ペレ」は、ジノリ工房が得意とした多色の釉薬(ポリクローム釉)を使っており、色鮮やかで細かいディテールが特徴です。ジノリ工房の職人たちは、こうした陶器に色を巧みに使い、リアルで豊かな表現を目指しました。特にこの作品では、果物の自然な質感や収穫のシーンを生き生きと描き、18世紀のロココ美術の影響を受けた華やかさと動的な表現が特徴的です。
この作品は、ジノリ工房がその時代の優れた芸術的な成果を反映し、また技術的にも高度な技法を駆使していることを示しています。ジノリ工房の陶器は、装飾だけでなく、テーマ性やストーリーテリングの要素も含まれており、当時の人々にとって非常に魅力的な作品だったことがわかります。
「マリア・セデンテ・ケ・アッラッタ・イル・バンビーノ・ジェズ(Maria sedente che allatta il Bambino Gesù)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって1780年頃に制作された高浮彫(アルトリリエーヴォ)作品です。この作品は、聖母マリアが座って幼児イエスを授乳するシーンを描いており、宗教的なテーマを中心に表現されています。
ジノリ工房の陶器にはしばしば宗教的な題材が取り入れられ、特にこのような細かいディテールで表現された聖母子のシーンは、18世紀のロココ美術における典型的なスタイルを反映しています。この作品では、マリアとイエスの表情や姿勢が繊細に彫刻され、優雅さと温かみが感じられます。高浮彫の技法によって、人物や衣服の複雑なディテールが際立ち、立体感や動きが強調されています。
ジノリ工房は、精緻な陶器制作技術と共に、こうした宗教的モチーフを日常的な美術品としても制作しており、富裕層や宗教的な施設で高く評価されました。この作品もその一例として、当時の芸術的な洗練を示す重要な作品となっています。

「Vaso "a cratere" con la rappresentazione di una partenza per la caccia(狩りに出発するシーンを描いた「クレータ型」の花瓶)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって19世紀初頭、第一四半期に制作された作品です。この花瓶は、特徴的な「クレータ型」の形状をしており、広がった口と比較的浅い体を持つため、装飾的な意匠を十分に表現できるデザインとなっています。
この作品には、狩りに出発するシーンが描かれており、当時の貴族社会で流行していた狩猟活動がテーマとなっています。狩猟は、貴族の象徴的な活動として、しばしば芸術作品の題材として取り上げられました。この花瓶には、馬に乗った人物や犬、狩猟用具などが精緻に描かれており、リアルで動きのあるシーンが表現されています。
ジノリ工房は、当時の陶磁器技術において非常に高い評価を受けており、このような精緻な絵画的装飾は、その技術の高さを物語っています。特に、この花瓶に描かれた狩猟の場面は、19世紀初頭の文化的背景を反映しており、装飾的な美しさとともに、狩猟というテーマが貴族の生活様式を象徴する重要な要素であったことを示しています。
「Piatto con decoro all'orientale in bianco e blu(青と白の東洋風装飾が施された皿)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって18世紀末に制作された作品です。この皿は、東洋的なデザインが特徴で、青と白の色合いが巧みに使われています。18世紀末のヨーロッパでは、東洋文化、特に中国や日本の美術が流行し、これらの影響を受けた装飾が数多く見られます。
この皿のデザインには、東洋的なモチーフ—例えば、花や動物、風景など—が細かく描かれ、特に青と白のコントラストが美しく強調されています。白い地に青の釉薬で描かれた装飾は、東アジアの陶磁器に多く見られる技法であり、当時のヨーロッパの陶磁器製作においても人気がありました。ジノリ工房はこの東洋風のデザインを巧みに取り入れ、ヨーロッパ市場向けに高品質な製品を生み出しました。
この皿は、18世紀末のヨーロッパでの「ジャポニズム」や「チネゼリア(中国趣味)」の影響を反映しており、貴族や上流階級の家庭で使用された可能性が高いです。また、装飾だけでなく、その精緻な技術と形状が、ジノリ工房の優れた陶磁器製作技術を証明しています。
「Cioccolatiera dipinta con decori e scena, entro riquadro, d'ispirazione classica(クラシック風の装飾とシーンが描かれたチョコレートポット)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって19世紀初頭に制作された作品です。このチョコレートポットは、クラシックな美術からインスピレーションを受けた装飾が特徴で、特に古代ギリシャやローマの神話や風景が描かれている可能性があります。
このポットの装飾には、典型的なクラシック風のモチーフが使われており、人物や神々、または風景のシーンがリーフ状の枠やリボンで囲まれて描かれています。これらのデザインは、19世紀初頭のヨーロッパで非常に人気があり、古代文化への回帰とそのエレガントな美学を重視する時代背景を反映しています。
ジノリ工房は、このような精緻な装飾を施した陶器を作り、上流社会や貴族の家庭で使用される高級な製品を生み出していました。チョコレートポット自体は、当時のヨーロッパで盛況だったチョコレート文化と深く結びついており、特におもてなしの場や贈答用としても重宝されました。
この作品は、クラシック風の美術を取り入れたジノリ工房の陶磁器が、どのように時代の流行を反映し、また、技術的にも高い水準に達していたことを示しています。

「Geliera in porcellana dipinta con una veduta costiera(海岸の風景が描かれた陶製のアイスクリーム器)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって19世紀初頭に制作された作品です。この「ゲリエラ(Geliera)」は、アイスクリームや冷たいデザートを作るための器具であり、特に装飾的な要素と実用性を兼ね備えた高級品として作られました。
この作品の特徴は、器の表面に描かれた「海岸の風景」であり、19世紀初頭のヨーロッパで流行した風景画が施されています。海岸線や海の景色をテーマにしたデザインは、当時の風景画に対する興味を反映しており、貴族や上流階級の人々にとって、装飾的な陶器としてだけでなく、社交の場での象徴的なアイテムとしても人気がありました。
ジノリ工房のアイスクリーム器は、ただの実用的な器具以上のものとして、しばしば芸術作品と見なされていました。優れた技術と美しい絵画が融合したこの作品は、19世紀初頭の美的な感覚や社会的な流行を反映した象徴的なアイテムです。また、このような陶器は、上流社会の家庭や宮廷で使われ、特別な行事やおもてなしの場で大切にされていました。
ジノリ工房は、その精緻な絵付け技術と優れた製陶技術で知られ、このような芸術的価値の高い陶器を生み出しており、その後の陶磁器業界にも大きな影響を与えました。
「Tazzina con piattino del servizio per il Chedivè d'Egitto(エジプトのチェディヴェ(パシャ)用のサービスセットのカップとソーサー)」は、1874年頃にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された作品です。このカップとソーサーは、エジプトのチェディヴェ(エジプト総督)向けに特別に作られた食器セットの一部であり、そのデザインと製作において非常に重要な役割を果たしました。
このセットは、エジプトの当時の支配者であったチェディヴェ(パシャ)に贈られるために制作されたもので、彼の宮廷で使用されることを目的としていました。ジノリ工房は、特に東洋的なデザインや装飾が求められることが多かったため、このサービスセットには、エジプトやオリエンタルな要素が取り入れられた装飾が施されています。
カップとソーサーには、金色や華やかな色合いの装飾が施され、特に豪華で洗練された印象を与えます。エジプトの王族や貴族のために作られたため、非常に高級感があり、またその装飾には、エジプトの伝統的なモチーフや象徴が反映されていることが特徴です。
ジノリ工房は、このような特別な依頼を受けて製作する際に、その技術力と芸術的センスを駆使して、文化的な背景を尊重しつつも、当時のヨーロッパの美的感覚を反映させる作品を生み出しました。このセットは、ジノリ工房が制作した数々の特別な食器セットの中でも、その豪華さとエキゾチックなデザインが際立っています。
「プラーッカ・イン・ポルチェッラーナ(Placca in porcellana)」は、19世紀第2四半期(1825年〜1850年頃)にジノリ工房(Ginori a Doccia)で制作された磁器製のプレートで、ルネサンス期の画家セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo)の絵画を再現した作品です。
この磁器のプラーッカは、絵画を忠実に再現する高い技術を示しており、ジノリ工房が持つ絵付けの卓越した技術と、芸術的なセンスが融合した一例です。セバスティアーノ・デル・ピオンボは16世紀のルネサンス期に活躍したイタリアの画家で、特にヴェネツィア派とローマ派の影響を受けた独自のスタイルで知られています。その作品は、色彩の豊かさと力強い陰影表現が特徴で、このプレートでもその美的要素が精密に再現されています。
プレートは装飾的な目的で制作されたと考えられ、美術的な価値が高いだけでなく、当時の磁器製作における芸術的水準の高さを示しています。この時代のジノリ工房では、ヨーロッパの上流階級や芸術愛好家の需要に応じて、著名な絵画作品を磁器に転写・再現する技法が盛んに用いられており、このプラーッカもそのような流れの中で生まれた作品です。
美術史的な観点からも、このような磁器製の絵画再現作品は、19世紀の磁器製作が単なる日用品の範疇を超え、絵画や彫刻と同等の芸術表現として認識されるようになったことを示しています。ジノリ工房が手掛けたこのプラーッカは、芸術と工芸の融合を象徴する貴重な例となっています。

1881年に制作された「ウンベルト1世(Savoia王家のウンベルト1世)のための食器セット試作品(Piatto di prova del servizio per Umberto I di Savoia)」は、ジノリ工房(Ginori a Doccia)によって特別にデザイン・制作された磁器皿です。
この試作品は、イタリア王国の王であるウンベルト1世(Umbèrt I di Savoia)の宮廷用食器セットを制作する過程で製作されたものです。当時、王族や貴族のための食器は、単なる実用品ではなく、威厳や格式を象徴する重要な存在でした。このため、デザインや装飾には特に注意が払われ、試作品を通じて細部が検討されることが一般的でした。
このプレートは、1881年という時代背景を反映し、19世紀後半のイタリア磁器に特有の洗練されたデザインや装飾技術を備えています。細やかな絵付けや王家を象徴するモチーフ、そして品格ある色彩の使い方が特徴であり、ウンベルト1世の王権やサヴォイア家の威信を表現しています。また、この試作品には、ジノリ工房の高度な技術力と、当時の芸術的トレンドへの深い理解が反映されています。
王室のための食器セットという特別な目的に合わせて製作されたこの作品は、ジノリ工房が19世紀においても一流の工房としてその名を広め続けた証でもあります。現在、この試作品はジノリ工房の歴史やその芸術的成果を知るうえで非常に貴重な資料となっています。
「ジノリ工房の商標(Ginori, manifattura di Doccia)」は、ジノリ家が18世紀中頃にトスカーナ地方のドッチャ(現在のセスト・フィオレンティーノ)で創設した磁器工房を象徴する重要な要素です。この商標は、時代とともに変化を遂げながらも、一貫して工房の品質と伝統を体現してきました。

初期の商標
ジノリ工房は1735年、マルケーゼ・カルロ・ジノリ(Marchese Carlo Ginori)によって創設されました。当初の製品には明確な商標はなく、家紋や紋章が装飾の中に取り入れられていました。1740年代には、製品に独自の印を刻む動きが見られ、最初期の商標として知られる「アスタリスク(※)」が登場しました。これは、ジノリ家のフィレンツェ紋章に由来する三つ星の簡略化版と考えられています。

18世紀後半
1780年頃から、製品にはアスタリスクの刻印や、赤または金色で描かれた星が装飾として使用されるようになりました。この時期、商標には「P」(Prima scelta: 一級品)や「F」(Seconda scelta: 二級品)といった品質等級が追加される場合もありました。

19世紀
19世紀初頭には、「N」に王冠を合わせた商標が使用されるようになります。これは、ナポリの王立製陶所(Real Fabbrica Ferdinandea)からモデルと商標使用権を取得したことにより採用されたものです。その後、1840年頃までに「GINORI」という刻印が登場し、特に日常用品の陶器に広く使用されました。

19世紀中頃から後半にかけては、「G」をロザンジュ(ひし形)内に刻印したものや、「Ginori」を楕円形の枠内に描いたものが使われるようになりました。装飾には黒、青、緑、赤などの色が用いられ、それぞれの製品に応じた特徴的な商標が採用されました。

現代に至るまで
19世紀末、リチャード(Richard)との合併により「リチャード・ジノリ(Richard Ginori)」のブランドが誕生し、商標もそれに伴い進化を続けました。ジノリ工房の商標は、技術力と芸術性の高さを象徴し、ヨーロッパ全域で高い評価を受けました。今日でも、その商標は磁器製造の歴史における重要な文化的遺産として認識されています。 

このページのトップヘ(>>)

登録アイテム数: 1件
  説明付き一覧    写真のみ一覧
  説明付き一覧    写真のみ一覧
  Powered by おちゃのこネット
ホームページ作成とショッピングカート付きネットショップ開業サービス