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イタリアの国民的俳優 アルベルト・ソルディ 商品一覧はこちら(>>)
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イタリアの国民的俳優 アルベルト・ソルディ 商品一覧はこちら(>>)
アルベルト・ソルディ(Alberto Sordi、1920年6月15日 - 2003年2月25日)はイタリアを代表する喜劇俳優、脚本家、映画監督。イタリア・ローマ出身。
Ugo Tognazzi(>)、Vittorio Gassman(>)、Nino Manfredi(>)、Marcello Mastroianni(>)と共に彼なしではイタリア映画の歴史を語ることはできないと言われるほどその世界では偉大な存在です。
しかし、日本では彼の出演している映画はほどんど公開されていません。1965年の国際キャストが揃った『素晴らしきヒコーキ野郎(>)』がその数少ない映画の一つです。
その生涯で数多くの映画を残し2003年2月25日、心不全で死去した際には約6万人のファンがローマ市庁舎横の広場に安置された棺の前に集まりました。そして、27日にローマの大聖堂で行われた葬儀には約50万人が参列しました。この事から、彼がどれだけ愛されていたか分かるでしょう。
Sotto il sole di Roma (1948)(>)
Trastevere トラステヴェレ(>)にある記念碑
喜劇時代の一枚
彼はピエロ・ソルディの四男としてこの世に生を受けます。
父は音楽教師で演奏家でもありました。ローマのTeatro dell'Opera di Roma(>)のオーケストラに所属していました。
母、Maria Righettiは小学校の先生。1951年に亡くなりました。
アルベルト・ソルディ(>)は子供の頃から演劇が好きでした。その経験は子供達が喜ぶ人形劇から始まります。また、Cappella Sistina(>)では児童合唱団にてソプラノを担当していました。
成長してからはオペラ歌手としての勉強を積み、(声域の)バスとしてオペラ劇場にて姿を見せます。
1936年にはレコード会社Fonit(>)と彼のそれまでの成果により、子供向けのレコードにその声を刻むため、キラノへ発ちます。この時、当時通っていた商業訓練所をやめ、ミラノのAccademia dei Filodrammatici(>)へ通うためでもありました。ローマからミラノへと移ったアルベルト・ソルディは方言による発音の違いを度々指摘されたようです。
第二次世界大戦では、アルベルト・ソルディは音楽隊のメンバーとして国軍に参加します。
その後、映画会に入ったアルベルト・ソルディはそれでも学んだ音楽をおろそかにすることはありませんでした。
1956年にはコメディにも歌を取り入れていきます。
声優
1937年にローマへ戻り、Cinecittà(チネチッタ)(>)で仕事を見つけます。そこで端役や声優として経験を積み始めます。1951年まで声優としての仕事を続け、主に外国人俳優の声を担当。さらにはイタリア人俳優のFranco Fabrizi(>) や Marcello Mastroianni(>)の声も務めました。
声優を務めた代表的な映画は、Frank Capra(>)のLa vita è meravigliosa(>) (1946)、Vittorio De Sica(>)のLadri di biciclette(自転車泥棒)(>) (1948)、Alessandro Blasetti(>)のPrima comunione(>) (1950)、 Guido Leoni(>)の I pinguini ci guardano(>) (1956)などです。
San Giovanni(>)劇場で1936-1937年まで、幼なじみや学校の同窓生などでグループを組み、短期間のバラエティーショーを行いました。その後、幾度か同じようなショーを度々行っています。
ラジオでの三枚目役
ラジオでは1946-1950年の間にラジオ界で大きな成功を収め始めます。
ラジオではいくつかのキャラクターを演じ、多くのラジオ番組を抱え人気を集めます。その中のキャラクター、Mario Pio(>)は後に映画Mauro Bolognini(>)のCi troviamo in galleria(>)(1953)にも登場することになります
ラジオスタジオにて
I vitelloni (1953)(>)
Un americano a Roma (1954)(>)
1950年のVittorio De Sica(>)の映画、Mamma mia che impressione!(>)で注目を集めます。その後1952-1955年に人気は爆発。多くの主演映画を持つことになります。
Federico Fellini(フェデリコ・フェリーニ)(>)のLo sceicco bianco(>) (1952)、I vitelloni(>) (1953), そしてSteno(>)のUn giorno in pretura(>) (1953、 Un americano a Roma(>) (1954)、 Piccola posta(>) (1955)などです。役柄は重に、臆病者、卑怯者、人につけこむ嫌なやつ、いい加減な人、無精者、子供っぽい天真爛漫な人、無関心な人などです。身近にいたそういった人たちの性格を大袈裟にしてキャラクターを作り上げげていたのです。
この時代の映画はイタリア国内のバールやレストランでもその有名なシーンのスチール写真を見かけることがあります。
その皮肉を含んだ笑いのセンスはその時代にはまだ新しかったのでしょう。とある映画ではそのポスターにアルベルト・ソルディの名前は出せないとまで言われていました。なぜなら大衆は映画にあるキャラクターがアルベルト・ソルディそのものだと思い込んでしまったからです。こうしてアルベルト・ソルディはすぐには評価されず、社会に議論を持ち込んではいましたが、人気は確固たるものになっていきました
映画では中流階級も演じました。そこでは、僅かなものを乞われる横柄で嫌な役柄を演じています。ここでは社会的な「悪い例」を見せているのです。これは映画を観る人のはけ口になっていたことでしょう。
さて、アルベルト・ソルディの膨大にある映画を一つ一つ語ることはできませんが、代表的なものといえば、これらになります。
Luigi Filippo D’AmicoのBravissimo(>) (1955)、Dino Risi(>)のVenezia, la luna e tu(>) (1958)、Il vedovo(>) (1959) 、Giorgio Bianchi(>)のIl moralista(>) (1959)などです
Il conte Max (1957)(>)
Un eroe dei nostri tempi (1955)(>)
Il boom (1963)(>)
La grande guerra (1959)(>)
Il vigile (1960)(>)
感動的な代表作、Mario Monicelli(>)のLa grande guerra(>) (1959)では比類なき才能を披露しました。その他の代表作はこの通りです。
Luigi Comencini(>)のTutti a casa(>) (1960)、Luigi Zampa(>)の lL Vigile(>) (1960)、Dino Risi(>)のUna vita difficile(>) (1961)、Vittorio De Sica(>)の Il boom(>) (1963)、Luigi Zampa(>)の Il medico della mutua(>) (1968)、Luciano Salce(>)の Il Prof. Dott. Guido Tersilli, primario della clinica Villa Celeste, convenzionata con le mutue(>) (1969)、Ettore Scola(>)のRiusciranno i nostri eroi a ritrovare l'amico misteriosamente scomparso in Africa?(>) (1968)、Monica Vitti(>)との出演のAmore mio aiutami(>) (1969)、Nanni Loy(>)のDetenuto in attesa di giudizio(>) (1971)、Luigi Comencini(>)のLo scopone scientifico(>) (1972)、アルベルト・ソルディ自身が監督のFinché c'è guerra c'è speranza(>)、Mario Monicelli(>)のUn borghese piccolo piccolo(>) (1977)と Il marchese del Grillo(>) (1981)、Ettore Scola(>)のRomanzo di un giovane povero(>) (1995)
Tonino Cervi(>)の Il malato immaginario(>) (1979)、L’avaro(>) (1990)
監督としての作品
Fumo di Londra(>)(1966)
Scusi, lei è favorevole o contrario?(>)(1966)
Amore mio aiutami(>) (1969)
Polvere di stelle(>) (1973)
Io so che tu sai che io so(>) (1982)
Le vacanze intelligenti(>)、Dove vai in vacanza?(>) (1978)
Un americano a Roma(>)(1967)は特に代表作と言われています
Io e Caterina(>) (1980)
Giulio Andreotti(>)、Federico Fellini(>)との共作 Il tassinaro(>) (1983)、Un tassinaro a New York(>) (1987)
In viaggio con papà(>) (1982)、Troppo forte(>) (1986)は実質的にはアルベルト・ソルディの弟子と言われるカルロ・ヴェルドーネ(>)の監督作品に出演しました
ほかに、Nestore(>)、 l'ultima corsa(>) (1994)、Incontri proibiti(>) (1998)、Sposami papà(>) (2002)があります
その後、テレビ出演も多数果たし、人気をさらに上げて行きました
Mafioso (1962)(>)
「’STA VOLTA C’HAI FATTO PIAGNE!」
(今回は僕達を泣かせたな!)
アルベルト・ソルディは肺がんを患い、冬に肺炎、気管支炎を起こし自宅でなくなりました。2003年2月24日、82歳でした。
その亡骸はローマの7つある丘のうちの一つ、Campidoglio(カンピドーリオ)(>)に2日間安置され、大勢のファンからのお供え物を受け取りました。
2月27日にSan Giovanni in Laterano(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ聖堂)にて荘厳な葬儀が行われました。そこには500000万人ものファンがいました。その日、サン・ジョヴァンニ広場には「’STA VOLTA C’HAI FATTO PIAGNE!(今回は僕達を泣かせたな!)」という横断幕が飾られました。イタリア獣から愛された偉大なコメディアンに贈る愛情あふれた言葉ですね。
現在、彼の亡骸は彼の家族と共にCimitero del Veranoに安置されています。
アルベルト・ソルディは慎重な性格で、結婚したことは一度もありませんでした。
一度だけ、女優と9年間過ごしていたこともあります。それはAndreina Pagnaniでした。
1958年、終の棲家となったのはローマのVia dei Pettinariにあるアパートでした。そこには二人の姉妹、Savina (1972没) Aurelia (1917 - 2014)、一人の兄弟Giuseppe (1915 – 1990)と、管理人、秘書と共に住んでいました。
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